Y子さんが、非定型うつ病を発症したのは、長女が入学した小学校の保護者会での出来事がきっかけでした。初めての保護者会ということで、自己紹介をしたのですが、極度の緊張症のY子さんは、自分の番になると顔をこわばらせ、しどろもどろになってしまったのです。恥をかいた、と思い込んだY子さんは、すっかり自信をなくし、ほかのお母さんたちと顔を合わせるのを避けるように。小学校の行事にはいっさい参加しなくなりました。そうこうするうちに外出が苦痛になり、気分も沈み込みがちになって、意味もなく不安になったり、夕闇迫るころには、なんとも表現しがたい空虚感が押し寄せてきて、涙ぐんでしまうこともあったのです。そんな中でも、食べると気分が落ち着くといって、手もとにはいつも甘いクッキーやカステラなどを置く始末。ただ、好きな韓流ドラマを見るときだけは人が変わったように、生き生きとした表情を見せるといいます。
Achieving Universal Health Coverage by 2030 will require strong evidence about systems innovations and sharing of lessons learned across countries. The WHO Center for Health Development supports generating new research, building the evidence base, and increasing capacity to advance sustainable universal health coverage. Located in Kobe, Japan, the Center has a unique role in bringing together initiatives from local to global level.
入会一年後に、生活の発見会の基準型学習会に参加し、翌年、学習会の世話役チーフを担当させていただきました。その期間中の6月中旬のある日の朝でした。自分の力だけで、自然に朝7時に目が覚めたのです。朝7時起床というのは、うつ病になる前に、私が起床する時間でした。驚き、感動しました。約3年ぶりの出来事です。それまでは、恥ずかしながら、自分の力では起きられず、近所に住む母親に起こしてもらって、なんとか会社の始業時間に間に合うという具合でした。その日から規則正しい生活が出来るようになりました。世話役チーフになり、受講生の皆さんのお世話をさしていただいたことが、私のうつ病が好転するきっかけになったことは、まちがいありません。学習会には、様々な切実な悩みをもった受講生がきています。その一人一人の悩みを考え、なんとか少しでもお役に立ちたいと日々考えるようになりました。そうすると当然ながら、自分の症状、悩み、苦しみにばかり毎日とらわれていた自分から、他者に自分の意識が、大きく向けられるようになったのです。

大学卒業後、現在の会社に入社しました。最初は、会社生活になかなかなじめませんでしたが、こつこつと努力を積み重ねた私の仕事ぶりは、いつのまにか認められるようになり、仕事に大きな自信が持てるようになっていきました。係長に昇格した翌年、結婚しました。すべてが順調に回転していた時期でした。しかし、周囲の期待に応えようと、日々全力投球で仕事に没頭し、以降うつ病で倒れるまで、深夜残業、休日出勤が続きました。家庭生活では、妻が近くに住む嫁姑問題が原因で、不安神経症となり、精神科に通院するようになりました。1年間程、妻はひきこもり状態になりました。悪いことは重なるもので、不況から会社の業績は急激に悪化してきました。仕事は更に激しさを増し、職場は戦場と化し、それと妻の看病、家事。私はフラフラの兵士でした。この頃、自分の精神状態がおかしいことに気づき、妻の病気の関係上、多少知識がありましたので、これは、うつ病だと思い、迷わず精神科に行きました。結果はやはりうつ病でした。医師からはしばらく会社を休むように勧められましたが、会社は、長期の休みを言い出す雰囲気ではありませんでした。また人事異動で上司が変わり、その上司との人間関係にも悩み、自分はだんだんと追い詰められていきました。ついに会社の事務所で倒れ、以降数ヶ月間会社を休み、また嫁姑との更なる関係悪化から、妻が突然、家を出て行き別居生活にはいりました。私がうつ病ではなかったら、妻と母親との間に入り別居、そして離婚という事態には至らなかったかもしれません。

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